日本インストラクター技術協会

日本インストラクター技術協会で取得できるのは、あなたの得意とする知識や技術、経験を活かして人に教えられるようになる資格です。本業に、副業にその夢を実現させてください。

オリンピックで55年後のゴール~日本インストラクター技術協会トリビア

日本インストラクター技術協会のブログへようこそ!

ここでは日本インストラクター技術協会の資格にちなんだトリビアをご紹介します。

 

日本インストラクター技術協会では「アスリート栄養食インストラクター」の資格もそれます。

 

アスリートが目指すものといえばオリンピック!

 

そしてオリンピックの花形種目といえばマラソンですよね。

 

日本が初めてオリンピックに参加したのは1912年のことです。

 

その時の選手は2名。

 

その2名とは短距離走三島弥彦選手と、そしてマラソン金栗四三選手。

 

当時、オリンピック開催地のスウェーデンまでにかかった時間はなんと10日間。

 

その途中で三島選手は病にかかってしまいます。

 

その間金栗選手は発汗予防のため、飲み物を口にしなかったといいます。

 

その状態のまま三島選手の看病をした金栗選手。

 

レース当日の気温は32度と、大変暑い日でした。

 

そして金栗選手は日射病にかかり、途中で倒れてしまいます。

 

コースの近くに住んでいた家族に助けられた金栗選手でしたが、回復後ある決断を迫られます。

 

リタイアか黙って日本に帰るか…

 

リタイアを良しとしなかった金栗選手が選んだのは黙って帰国。

 

その後スウェーデンでは金栗選手は失踪者扱いになったまま、50年の歳月が流れました。

 

その間金栗さんは箱根駅伝の設立に貢献するなど、日本で大変活躍していました。

 

そして1967年のこと。

 

スウェーデンテレビが金栗さんを見つけました。

 

1967年3月にスウェーデンオリンピック委員会が、金栗さんをオリンピック55周年記念式典に招待します。

 

そしてついにゴール!

 

そこで記録されたタイムは「54年8カ月6日5時間32分20秒3」。

 

もちろんオリンピック史上最も遅いマラソンの記録です。

 

金栗さんは1983年に92歳で亡くなりましたが、日本のスポーツ界に大きく貢献した人として名を残しています。

 

日本インストラクター技術協会にはさまざまな教える資格があります。

あなたもトライしてみませんか?